滑子航空機,覚書

飛行機好きで、写真を撮ったり、プラモを作ったり。

70年代の国産機たち

60年代からそのまま続けて。

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 トップバッターはC-1。上の表では川崎重工の欄においているが、日本航空機製造が開発を行っている。

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  C-1自体は66年、つまりYS-11の初飛行の4年後から基本設計が開始されている。

ようやく後継機のC-2が就役したところだが、すでに結構な数が退役している。

 

 次は三菱のT-2/F-1。国産機として初めて音速を突破した航空機だ。

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 "MU-2から引き続き、スポイレロンを装備している"

 67年に三菱が主契約企業に決定してからわずか4年で初飛行を行っている。

今ほどシステムとしてみた飛行機が複雑でなかったこともあるのだろうが、このころの開発スピードはかなり速い。

 

 ついでMU-300。国産初の民間ジェット機だ。相変わらず、スポイレロン装備。

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  紆余曲折して、現在はビーチクラフトがホーカー400として生産を行っている。

三菱では101機しか生産しなかったが、ビーチクラフトでは850機以上もの生産を行っているベストセラー機となっている。(もっとも、バイアメリカン法により三菱が継続販売してここまで生産数が伸びた保証はない)

 MU-2含めて、三菱は民間小型機の需要に対してよい飛行機を提供していたといえる。

 結果論にはなるが、ここでの小型航空機事業の撤退は民間機開発の断絶につながり、MRJの膨大な開発費として返ってきたとみていいだろう。

 MH2000?回転翼機はそっと横においておきましょう。

 

 FA-300はスバルが開発した双発プロペラ機だ。ビーチクラフト・バロン58を高速にしたような感じだろうか。

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  ほとんど売れず、FA-200での事業的失敗もあったためスバルは小型機事業から撤退した。

 

 N-70は日大開発の最後の航空機でモーターグライダー。現在は岐阜県各務原航空宇宙科学博物館で展示されている。

 

 日本飛行機が開発したNP-100はダクデットファンを装備したモーターグライダー。

製造は一機のみのようで、日飛がまだ保管しているかどうかは不明。

 76年の国際航空宇宙ショーで公開飛行を実施した。

 

 70年代も60年代から引き続き民間・自衛隊向けともに航空機開発を行っていたようだが、民間機は売り上げが振るわなかったこともあり、80年代の事業撤退につながった。

 このあと、自衛隊向けの開発は継続されていくが、MRJまで日本国内での主体的な民間機の開発は行われることはなかった。