てないよ。どっちが何号機でしょう。
予備機、チャーター機に回すとのことでてっきり出番が減るものと思っていた4号機。こういうのをみると、11号機は別の色でもよかったんじゃないかなあと思わなくもない。
次は何色になるのかな。
航空機の迷彩は機種によって狙いが違えば色も違う。
この塗装は日本の植生に合わせているんだろうなあとわかる。おそらく、山上を飛んでいるときに上から見られてもなかなか見つけられないだろう。
以前C-2を見失ったこともあるが、次は洋上迷彩の効果をこの目で見てみたいものだ。
こちらもちょっとひさびさ(?)の名古屋空港。今回はあいち航空ミュージアムにて三菱のIRAN機でもちょっと上から撮ろうかと思って行ってきました。
!?
F-35Aがでてきました。空自向け9号機。つい先日もテストフライトを行っていたようで、今回が2回目のフライト。結局、フェリーフライトまでは何回くらい飛ぶんだろう。
いろいろ気を使っているのか、滑走路までは基地側の誘導路を通り、かつ滑走路に進入後も滑走路端まで移動してから旋回、離陸を開始します。
以前は神明公園で前から離陸を撮影しましたが、今回は後ろから。
相変わらず単発機と思えない爆音で離陸していきます。前脚が先に収納されるので、バランスが悪いといえば悪い。なんでこんな設定にしてるんだろうか。
撮影はともかく、離陸時は前から見る方がぐんぐん近づいてきて楽しいですね。
1時間半ほどで戻ってきました。上空で旋回するものの、曇り空かつやや遠いので撮影は厳しい。
背景がいっぱいだとほんの少しでも流してやると絵としても面白いんだろうなと思いつつも、心なしかピントが合いづらく、撮影機会も少ないF-35Aではなかなか試せません。
着陸。ラダーをエアブレーキ的には使っていないようだ。
これもエアブレーキのないF-35Aの特徴なのかもしれないが、以前と同じように機首をあげたまま滑走していきます。
そして、三菱へと戻っていくのであった。
そういえば今回はチェイス機がなかったが、小牧生産も5機目となってもう必要もなくなったのでしょう。
F-35Aも二回目の撮影となり、ある程度いろいろなアングルから撮影しましたが、戦闘機的なかっこよさとは違った別のかっこよさがありますね。
ひさびさの更新はひさびさの伊丹空港。所用で大阪に行くことがあったので、リニューアルされた伊丹空港に行ってきました。
事前の情報で、撮影にはかなり厳しくなったとは聞いていましたが、撮影についていえば前の方がまだよかったなあという感想。
北側の展望デッキ。以前と比べて開けた空間となっており、ただ飛行機を眺めるだけなら以前よりはよくなっている。
手前を見てもらうとわかりやすいが、手すりからワイヤー柵までの距離が60cm近くあり、かなり遠い。そのため広角レンズはまったく使い物にならず、展望デッキならではの駐機中の機体の撮影は困難となっている、
また、スマホなんかで撮影する方もを多く見られたが、やはり手を突き出してとる必要があるのでちょっと危なっかしい。
この日の狙いは新しく伊丹空港に就航したJACのATR42。天草エアラインのものは以前から見ることができたが、真っ白な機体を見るのもよいものだ。
久々に見た印象は、ドーサルフィンが思ったより大きいなあということか。
そしてもうひとつが天草エアラインで運航されているJACのATR42。
いままでの天草エアラインでは機体を整備に出している間は全便欠航となっていたが、JACとの提携により共通機種であるATR42を使用することができるようになったのだ。
JACの1号機なのでハイビスカス塗装がよい。
搭乗口のすぐ隣の窓には天草イルカがいる。
その他
整備にやってきたバニラエアのA320。結局ピーチになるんだっけ?
南紀白浜空港開港と就航50周年記念の特別塗装機「わかぱんジェット」
すっかりE-170/190の住処となった伊丹空港。737-800もあまり来なくなったようで。
伊丹空港ではみかけない報道ヘリ。北海道・東北で見られる機体のようだが、西日本水害撮影のために飛来か?
いつものカメラ沼本。
表紙をめくった瞬間からおもしろい。
FOVEONセンサーってどんな感じで撮れるんだろう。ちょっと気になる。
次はMg19の分解の様子をまとめます。
こちらは初飛行が1951年で、オーストリア製の複座グライダー。ミニモアと同様にガル翼ですね。ちなみに、この時代のガル翼グライダーはFafnirというグライダーの影響が強いそうです。
まずは尾翼のフェアリングの取り外し。スクリューで止められているので、やはり分解性は高くありません。
こちらはフェアリング。前側のみ、写真のような機構で固定されます。
オーソドックスな四点締結構造。水平尾翼のみを取り外すようになっています。
ミニモア同様にフェアリングをまず外します。
上側の結合ピンは胴体内側に入っています。
ミニモアと異なり、主桁-前桁での結合方式ですね。
胴体側は鉄パイプのトラス構造となっており、下側の結合は胴体の外になっています。
主翼側。主桁はBOX状になっていますが、翼全体でみるとD型BOX桁構造。ちなみに、写真の左側が後ろです。
隙間からのぞくと木リブがずらり。ワイヤーはSchempp-Hirth式ダイブブレーキに、ロッドはエルロンにそれぞれつながっています。
トレーラーにそのまま載せられる台車に翼を搭載していきます。
胴体ももちろん載せられます。エルロンが翼の2/3近くにわたっていることから、この機体は最も初期のMg19でしょう。
トレーラーで運ぶ際にエルロンがばたつくのを防止するためのロック。
わざわざボルトがついているけど、どこかに固定するのだろうか。
そのままトレーラーに収納。
収納完了。こちらは人が中に入って作業するようにはなっていないようです。
MG19はミニモアと比較すると、構造・外見だけでみると木製桁にガル翼で、主翼・尾翼問わず翼端は曲線形状となっており、非常に似た印象を持ちます。しかし、結合はピンを差し込むだけになっていたりと、少し洗礼されているなあと違いがわかります。
写真を見返すと、MG19はやや情報が足りないなあという印象がありましたが、今後撮れることは果たしてあるのだろうかということもあるため、貴重なビンテージグライダーの分解記録として残してみます。
最近、メーヴェっぽい飛行機ことM-02Jが頻繁に試験飛行をしているという話を見て、そういえば、と今頃になって思い出した滝川でのビンテージグライダーの分解作業の写真。
今では安住の地を失いつつあり、今後の行方も決まっていないビンテージグライダーたち。今後、このような分解作業に関われることはないかもしれない。そんな中で、分解作業の写真は残しておくべきだよなあということで簡単にまとめてみようと思う。
今回はGö 3 ミニモア。
展示中のミニモア。 初飛行は1935年でドイツ製の単座機。いまでもDiscusやNimbusで有名な、Schempp-Hirth社製のグライダーだ。
ちなみに操縦そのものはクセがあり、簡単ではないそうだ。
水平尾翼の取り外し作業。
左側に開いている孔は、胴体側の操縦リンケージとエレベーターをつなげるためのメンテホール。三点締結ですべてナットで締結する。ASK21などの最近の(といっても古いが)グライダーだと二点は胴体側にピンが生えていて差し込むだけ、締結そのものは一点のみとなっているので大きく違う。
垂直尾翼はオールフライング式ですね。横にでている板は舵角制限のためのものと思われます。一つ前の写真の、垂直尾翼から伸びる棒状のものはマスバランスでしょう。
垂直尾翼は一人で運ぶことができる。
フェアリングを外すとこんな感じ。
この辺りも最近のグライダーとは異なり、胴体の外側で結合されている。人力飛行機で木径ボックス桁構造を採用していた身としては、見慣れた構造であるが。
主翼桁はボルト-ナット締結でコッターピンで抜け止めされている。手前の細いロッドはスポイラーのリンケージ。
先ほどの尾翼締結を見てもそうなのだが、締結構造からあまり頻繁な組みばらしを想定した構造ではないように感じた。当時としては普通なのかもしれないが。
主翼を外す。写真左側のロッドはエルロン用。
こちらは胴体側。胴体にメンテホールの蓋らしきものがあるが、詳細不明。
もう一度主翼側に戻ってみると、主桁はD型BOX桁だが締結部では後縁側で締結していることがわかる。おそらく、根本付近で白い箇所が斜めになっているところに斜めの強度リブが入っているのだろう。
この写真でみると、桁に対してスポイラーが半端な位置にあるように見える。リブでがんばるタイプのようだ。
結合にはテーパーピンが使用されている。ピンだけどボルトだ。
ミニモアのトレーラーの中には様々なポスターが貼られている。たしか、グライダー競技会のポスターだったと記憶しているが、ぱっと見た感じだとすべてがそうというわけではなさそうだ。
トレーラーには写真のような台に主翼を乗せる。移動中にあばれないように蝶型ナットで止められている。
トレーラーに収納する際の移動用ころころ。
残るは胴体(主翼が一枚残ってるけど)。
トレーラーに乗せるための台車を取り付け。主輪の軸にピンを差し込んで取り付ける。
このままトレーラーに収納されます。
収納完了。トレーラー内での作業がちょっと多そうだ。手前に写っているのはキャノピー。
グライダーに乗り始め、その組みばらしもやってからビンテージ機の写真を見返してみると、違った点ばかりでなかなか新鮮だ。
次はMg19の分解記録。