滑子航空機,覚書

飛行機好きで、写真を撮ったり、プラモを作ったり。

飛行機のお値段

 たまに調べてみるけど、当然ながら結構高い。

とても個人で買えるようなものではない。

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 小型機の代名詞、セスナ 172。新造機だと3000万円くらいする。

この時点で個人で所有するには高すぎるけど、中古で買う人がほとんどだろう。

 

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  双発ビジネスジェット機、セスナ サイテーション。

サイテーションだけでもモデルがたくさんあるが、写真の10人乗りのCJ2+で7億円。

 

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ダッソー ファルコンX7。15人乗りで巡航速度、航続距離ともに高性能な三発ジェット機。55億円だそうだ。

 

ちなみに、最近の複座グライダーでも2000万円くらいだった気がする。

 

チハを見てきた。

 チハ。この文字だけを見ているとゲシュタルト崩壊しそうだが、それはさておき九七式中戦車を見てきました。

 場所は静岡県の若獅子神社。サイパンから帰還したチハが安置されている。

 

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  戦車の運用は詳しくないので何とも言えないが、少なくとも対戦車用としては開発されておらず、歩兵に随伴し敵陣地の破壊を目的としていたであろうチハは、対戦車戦で苦戦することとなった。

 のらくろにでてくる戦車そのままで、現代の平べったくて四角いだけの高性能戦車とはおもむきが違う。

 

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  遊就館に展示されているチハと違って大規模な修理は行われていないようだ。

大穴があいているわけではないが、どのような状態で撃破されたのだろうか。

 

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 足回り。鉄って劣化するとこういう割れ方するのね。

 

  陸軍少年戦車兵学校の跡地に作られた若獅子神社だが、当の学校では14~19歳の少年を戦車兵として育成しており、無茶しやがってという感想しかでてこない。

 

AIR RACERS Vol.4

第4弾。今回はヤコブレフ特集。今でこそロシア/ソ連の戦闘機といえばスホーイにミグだが、WWⅡ時代の戦闘機といえばヤコブレフなのだ。

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とはいえ、WWⅡ時代のソ連戦闘機は目立って性能の高い戦闘機もなく、

Yak-3とYak-9を見たことはあるが、ともにもっさりした印象だった。

なので、それがレーサー機に?っという疑問を持ちつつ読み始めた。

 

Yakovlev Yak-3U

 "Yak-3U Planes of Fameにて"

 

 例にもれずとんでもない魔改造が行われている機体もあるようで、その記事を読むだけでもおもしろかった。

 冷戦崩壊後に再生産された機体が多いこともあり、レーサー機として以外の楽しまれ方もしているようで、旧日本軍機のレプリカ機でやってみたなあとも思う。

 

戦後の国産機:番外編

 わざわざ番外編とするのもおこがましい話だとは思うが、まだまとめ切れていないので、番外編としたい。

 一般的には軽飛行機以上に知られていない、グライダーや個人製作の飛行機があるのだが、あまり資料もないので調べられた範囲で書いてみる。

 

 大学開発のグライダー

 日大が航空機の開発をしていたことはすでに記事にしているが、東京大学では航空解禁すぐにLBS-1を開発し、東北大学ではごく最近まで現役で使用していたCumulusを開発している。

 ともに大学としてなのか、学生 or OBが大学と関係なく開発したものかはわからないが、そのようなグライダーが存在したということで書いておいた。

 

 国産グライダー

 有名どころは現役で飛ぶ機体のある萩原式だろう。シリーズ合計で数十機生産された。

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"萩原式H-23CⅢ" 

 

 他にもあるようでソアラーだけでも備忘録として書いておく。

・三田式1~ 3型

・軽飛行機式SS-1、SS-2

・富永式鴎号

・佐藤前田SM式206

・あそG

 ・倉橋式KD-1

霧ヶ峰式とんぼ54-1

・東飛式SA

・富士B-5

 つらつら並べてみたが、ソアラーだけでも意外と多いなあと印象。萩原式、三田式を除けば量産はされていないと思う。多くが航空解禁すぐの機体ということもあり、情報が少なすぎて詳細は不明。

 

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"三田式3改1型"

三田式グライダーの中には、本庄季郎氏が設計にかかわったものもある。

 

 ホームビルト機

 外せないのはホームビルト三河だろう。ホームビルト機を設計・製造していた会社で現在でも飛ぶ機体は多い。

 他にも個人で設計し、飛ばしていたホームビルト機もある。OX5 スバルプレンや濱尾式しおからとんぼあたりが有名らしい。

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 "濱尾式 80%スケール零戦"

 こちらは、飛行はしていないようだ。

 

 知らない中で調べてみると、国産グライダーは意外とあったんだなあと感じる。

しかし、残念ながらその多くが過去形だ。

 

70年代の国産機たち

60年代からそのまま続けて。

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 トップバッターはC-1。上の表では川崎重工の欄においているが、日本航空機製造が開発を行っている。

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  C-1自体は66年、つまりYS-11の初飛行の4年後から基本設計が開始されている。

ようやく後継機のC-2が就役したところだが、すでに結構な数が退役している。

 

 次は三菱のT-2/F-1。国産機として初めて音速を突破した航空機だ。

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 "MU-2から引き続き、スポイレロンを装備している"

 67年に三菱が主契約企業に決定してからわずか4年で初飛行を行っている。

今ほどシステムとしてみた飛行機が複雑でなかったこともあるのだろうが、このころの開発スピードはかなり速い。

 

 ついでMU-300。国産初の民間ジェット機だ。相変わらず、スポイレロン装備。

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  紆余曲折して、現在はビーチクラフトがホーカー400として生産を行っている。

三菱では101機しか生産しなかったが、ビーチクラフトでは850機以上もの生産を行っているベストセラー機となっている。(もっとも、バイアメリカン法により三菱が継続販売してここまで生産数が伸びた保証はない)

 MU-2含めて、三菱は民間小型機の需要に対してよい飛行機を提供していたといえる。

 結果論にはなるが、ここでの小型航空機事業の撤退は民間機開発の断絶につながり、MRJの膨大な開発費として返ってきたとみていいだろう。

 MH2000?回転翼機はそっと横においておきましょう。

 

 FA-300はスバルが開発した双発プロペラ機だ。ビーチクラフト・バロン58を高速にしたような感じだろうか。

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  ほとんど売れず、FA-200での事業的失敗もあったためスバルは小型機事業から撤退した。

 

 N-70は日大開発の最後の航空機でモーターグライダー。現在は岐阜県各務原航空宇宙科学博物館で展示されている。

 

 日本飛行機が開発したNP-100はダクデットファンを装備したモーターグライダー。

製造は一機のみのようで、日飛がまだ保管しているかどうかは不明。

 76年の国際航空宇宙ショーで公開飛行を実施した。

 

 70年代も60年代から引き続き民間・自衛隊向けともに航空機開発を行っていたようだが、民間機は売り上げが振るわなかったこともあり、80年代の事業撤退につながった。

 このあと、自衛隊向けの開発は継続されていくが、MRJまで日本国内での主体的な民間機の開発は行われることはなかった。

 

河口湖で隼を見てきた。

 昨年も訪れた河口湖自動車博物館・飛行館。数年にわたって部分的な展示が行われてきた隼が完成したため、急きょ訪れることにした。

 なお、飛行館では写真は携帯・スマホのみOKであるが、ネット上に写真を上げることが禁止されているので、写真は割愛する。

 

 隼自体はアメリカ某所ですでに見たことがある(こちらも限りなく本物に近づけたレプリカ)が、今回見た隼は塗装なしの状態であったためか、印象が大きく違った。

 なんというか、感想がわかないのだ。横に並べられている零戦と同じエンジンを積んでいるにもかかわらず垢抜けた印象がなく、以前各務原でみた飛燕のような洗練された印象もなかった。

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 "無塗装の飛燕"

 

 ただ、飛行機だな。そんな印象だった。もしかすると、レプリカのためか外皮がきれいすぎたのが原因なのかもしれない。戦闘機という感じもあまり感じなかった。翼付け根のフェアリングなんて、もうちょっとがんばれよって言いたくなる。

 とにかく、それでも隼が好きなことを再認識したわけだが。

 ちなみに、展示は脚を上げた状態で台に置かれて展示されているため、特徴的な蝶型フラップを拝むことはできなかった。

 

 さて、河口湖の飛行館は8月のみの開館なので、行ける方は行ってみてはどうでしょうか。そこでのみ購入できる復元記録は資料として一級の価値があると思うので、値段以上に満足できるはず。おすすめです。

 

60年代の国産機たち

 50年代の飛行機紹介に続き、今回は60年代の国産機を紹介したい。 

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50年代と違い、この時代は"売れる飛行機"の開発をすすめていたように感じる。

 

 日大では引き続き、N-58、N-62が開発(ともに現・ジャムコとの共同開発)されているが、N-62はFAAの型式証明まで取得している。

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"N-62 イーグレット"

 N-58は青森県・歴史みらいパークで、N-62は岐阜県・かかみがはら航空宇宙科学博物館でその姿を見ることができる。

 

 そして、62年にはおなじみYS-11が初飛行を行う。戦後の航空機開発をみていると、ここで初めて大型機を開発することになったようだ。

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  これについては、やはり戦前の技術者が多くいたこともあり、大型機そのものを開発することには問題がないと判断したのだろう。

 結果的に機体性能は十分だったようだが、"民間機を開発し、売ること"の経験不足から赤字が続き、生産は182機で終了した。

 

 YS-11の翌年初飛行を行ったMU-2は、三菱の傑作機のひとつだ。

開発期間的にはYS-11とオーバーラップしている。

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 高速性能とSTOL性能を両立させるためにスポイレロンを採用した機体。

為替の影響もあったため最終的に黒字にいたったかはわからないが、87年まで生産され、762機という生産機数は小型機の分野において成功したといえる。

 

 FA-200はスバルが民間向けに開発した小型機で、アクロバット飛行まで可能なことで有名だ。

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 小型機となると、性能はほとんど似たり寄ったりの印象で、おそらくFA-200は低翼で単翼かつ、アクロバットもできる高性能を売りにしたかったのだろう。矩形翼だったりと、コストダウンを図った設計も行われている。

 世界各国で売れ、生産数は299機と少なくない。

 

 そして最後はPS-1。この年代では唯一自衛隊向けに開発された機体で、現在のUS-2につながる飛行艇だ。

 

 60年代は開発機数こそ50年代より少ないが、世界に売れる航空機が現れたことは、航空産業を発展するうえで非常に大きな発展だったといえるのではないだろうか。