よく、GHQによる航空禁止令があったから戦後の航空機開発が遅れ、
それが原因で21世紀にいたる現在まで遅れをとっているという人がいるが、
むろんそんなことはない。エンブラエルを見てほしい。
ところで、戦後の航空機開発の変遷は調べてみると面白い。
下の表のとおりだが、52年の航空解禁後すぐに小型機の開発が始まった。
各年は初飛行の年を示している。(※回転翼機、滑空機等は未調査)
戦後初の航空機は新立川飛行機(現立飛ホールディングス)のR-52だ。
機体としては戦時中の95式練習機やR-38の流れをくんでいる。
R-53とR-HMは、最近立飛で公開されたこともあり見たことある人も多いはず。
"R-53"
おもしろいのは、日本大学で開発(製作は岡村製作所)されたN-52。
今の日本では考えられないが、大学で航空機が開発されていたのだ。ドイツでいうところのAkafliegみたいなものだったのだろう。
そして富士重工(現スバル)は58年に戦後初の国産ジェット機T-1を初飛行させた。
"T-1A"
見てのとおり、50年代は航空解禁を"待ってました"とばかりに11機もの航空機が開発された。飛行に至らず、表舞台にあらわれなかった開発機はもっと多いかもしれない。
確かに、この時点では世界から遅れをとっていたことは間違いないだろう。
だが、解禁後わずか6年後にジェット機を飛ばすに至った開発スピードは、今では考えられないほどであり、なんとしてでも追いついてやるという意思が感じられる。