T-4が3代目となるブルーインパルス。F-86時代を超える年数使用されており、最も息の長い機種となっている。
すでにブルーT-4は退役機が出始めているが、T-4自体にも退役機がでてくるだろう。次はどんな機体がブルーインパルスとして飛ぶことになるのか。
T-4のブルーインパルスしか見たことのない自分としては、今から楽しみです。
よく、GHQによる航空禁止令があったから戦後の航空機開発が遅れ、
それが原因で21世紀にいたる現在まで遅れをとっているという人がいるが、
むろんそんなことはない。エンブラエルを見てほしい。
ところで、戦後の航空機開発の変遷は調べてみると面白い。
下の表のとおりだが、52年の航空解禁後すぐに小型機の開発が始まった。
各年は初飛行の年を示している。(※回転翼機、滑空機等は未調査)
戦後初の航空機は新立川飛行機(現立飛ホールディングス)のR-52だ。
機体としては戦時中の95式練習機やR-38の流れをくんでいる。
R-53とR-HMは、最近立飛で公開されたこともあり見たことある人も多いはず。
"R-53"
おもしろいのは、日本大学で開発(製作は岡村製作所)されたN-52。
今の日本では考えられないが、大学で航空機が開発されていたのだ。ドイツでいうところのAkafliegみたいなものだったのだろう。
そして富士重工(現スバル)は58年に戦後初の国産ジェット機T-1を初飛行させた。
"T-1A"
見てのとおり、50年代は航空解禁を"待ってました"とばかりに11機もの航空機が開発された。飛行に至らず、表舞台にあらわれなかった開発機はもっと多いかもしれない。
確かに、この時点では世界から遅れをとっていたことは間違いないだろう。
だが、解禁後わずか6年後にジェット機を飛ばすに至った開発スピードは、今では考えられないほどであり、なんとしてでも追いついてやるという意思が感じられる。
飛行機の撮影に使っているカメラはEOS60DとEOS80Dの二台体制だが、
先日、センサーのゴミetcで悩まされていた60Dの方をようやくあんしんメンテの方に出してみた。
電話一本で大分までドナドナされていった。
結果としては、シャッター回数が8万回を超えているということもあり、
シャッターの交換などの修理扱いになってしまった。
費用もなかなか高額だったので悩んだが、今回は修理をすることにした。
もちろん2番機扱いではあるが、これからもガシガシ使っていく。
で、楽しみにしていたのが、あんしんメンテの診断書みたいなやつ。
どこに不具合があって、どこを調整しましたって書いているだけなんだが、
修理になってしまったので、結局やったのかやってないのかすらわからなくなってしまった。
本屋でたまたま見つけたので購入。こういうのは見つけ次第買っていく。
最終決戦兵器「秋水」設計者の回想
牧野育雄
秋水設計者の回想とあるが、著者はエンジン側の設計者なので、
飛行機としての秋水ではなく、あくまでもエンジン開発の話がメインとなる。
著者の当時の日記をそのまま載せているところもあり、当時の設計者の
生活がどのようであったかもわかる点がおもしろい。
「この世界の片隅に」とはいかないが、当時の生活、
特に、三菱の工場となれば空襲のターゲットともなっているので、
そのあたりの状況も大変興味深かった。
また、三菱と空技廠で仕様違いのエンジンが開発されていたり、
やはりまだ実用にはほど遠かったところなど、設計者視点での話は
なかなか知ることができないので資料としての価値も高い。